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人の前に立って何かをしたりだったり、初めましての方に話しかけることが

とても苦手な私が客先へのプレゼンを体験しました。

現行の清掃会社から切り替えを検討してる会社への提案を

上司のサポートを受けながら実施しました。

現場に入り込ませて頂き、今現状の清掃頻度とお客様の気になっている点を

確認させて頂き、最適な清掃頻度を提案させて頂きました。

金額感も大幅に変えれないということから色々と試行錯誤しました。

初めてのプレゼンは、本当に緊張して声を震えてはしまってましたが

伝えたいことはしっかり伝えることが出来ました。

上司のサポートもあり無事に契約に繋げることができました。

新規事業(ホテル)からの撤退を経験しました。

色々な事情があったのですが短い期間でしたが立ち上げから撤退を経験しました。

他の会社からの引継ぎもあれば新築のホテルを一から清掃管理したりと

さまざまなパターンで経験を積みました。

人手不足に悩まされたりと苦戦した部分も多かったのですが

そこで出会ったスタッフには感謝でいっぱいです。

いつかまた一緒に働きたいという夢も持ち続けています。

その為にはもう少し学び成長していかないといけないと日々精進しています。

休みがほとんどない中で時々いけるイベントがとても幸せな時間でした。

月1日休みになってしまっていた時期は予定していたイベントに

何度も行けなったのですがしょうがないかと我慢をしていました。

仕事だから仕方がないとは思いつつも、知らず知らずのうちに

ストレスになってしまっていたのだと思います。

自分では気づけてはいなかったのですが、笑顔が徐々に減っていたみたいです。

自ら調整できる余裕もなかったので周りに頼りながら休めるようにしていきました。

我慢は時には必要だけれども、限度があるのを知りました。

新事業に参加するとのことで、東京に帰ってきた社会人3年目。

アルバイト時代にやっていたベットメイキングの知識が活用できるのでは

ということで呼ばれた新事業のホテル清掃。

アルバイトでは研修センターでのベットメイキングは実施していたのですが

ホテル清掃は初めてだったので、いろいろと苦労することはありました。

年中無休で稼働するホテルなので、スタッフのシフト調整だったり、

作業の指導等大変なことが多かったです。

スタッフの人員不足もあって自分自身が休みをとれない状況が続きました。

自分自身が作業するだけではなく、スタッフへの指導をしていきました。

どのように伝えるのがわかりやすいのかとかを考えながら指導してました。

いろんなトラブルがあったホテル清掃でしたが、結果良い経験となりました。

後任の方が決まったというのと、東京での新たな事業に参加するために

転勤から1年も経たずのタイミングで東京に戻る話をされました。

転勤したからには2.3年くらいは大阪生活かなと思っていたのですが

想像より早い転勤生活の終わりでした。

大阪での最後の仕事は、後任の方への引き継ぎ作業でした。

引継ぐ期間が少なすぎたということもあり、引き継ぐ側の私もですが

引継がれる側の方の負担のがとても大きかったと思います。

システムを一から触る方に短い期間でどのように伝えるか必死に

考えながら進めていきました。

引継ぐ期間も残り1週間を切った時…引き継がれる方がいっぱいいっぱいに

なってしまい泣いてしまうという状況になってしまいました。

私もわからないながら業務してきたことを伝えるのが精一杯で

どうしたらいいのかとても悩みました。

私が東京に戻っても不安にならないように資料もより詳しく作成して

なんとか期間内に引継ぎ完了し、後任の方も問題なく業務をしていけました。

(転勤後もその方と連絡を取り、仲良くさせて頂きました。)

人に伝えることの難しさ、大変さを学ぶことが出来ました。

大阪(入社2年目)では総務部として勤務していました。

転勤した後に知らされたのですが、、、前任の人が退職されており、

その方が残された少しの資料を頼りに業務をやることになりました。

東京でも一応請求書のシステムに携わっていたので

色々と自分で調べながらなんとか毎月の請求処理等を実施しました。

以前そのシステムを触っていた方もおり、教えてくれてくれていたのですが

その方は、人間関係が原因で退職してしまいました。

そのあとは一人で苦戦しながら、業務を進めていきました。

その時期一番辛かったのは、身近に相談できる人がいなかったことです。

自分が苦しんだので、次やる人に同じ思いはさせてはいけないなと

思い資料を作ったり、共用フォルダの整理等できる限り頑張りました。

入社1年目の12月末頃、、、社長から大阪転勤の打診がありました。

転勤はあるかもしれないと入社時に聞いていましたが

正直こんなに早く話が来るとは思っていなかったです。

(打診があった日、まさかの具合が悪く意識朦朧しておりました。)

不安なことはもちろんありましたが、

いろんなことを経験してみようと転勤を決意しました。

大阪での転勤生活は1年と短かったですが、とても濃い1年となりました。

大阪では部署も違くなり頼れる人も身近にいないところからのスタート。

いろんな方が声をかけてくれ何とか乗り越えました。

ビルメンテナンス会社に入社直後は、清掃の実務や事務処理の研修をしました。

徐々に勤務にも慣れてきた頃に、上司に会議資料を作るように指示されました。

指示通りに時間内に仕上げ確認してもらい、会議に参加することになりました。

その会議にて社長から欲しかった資料はこういうことではないというお言葉が…

そして、「これは誰が作ったんだ!」と…

指示してきた上司は当たり前かのように私を名指ししました。

いや、確かに私が作りましたけども…指示通り作ったのにと内心思いましたが

私が作りました、申し訳ございません。と伝えることしかできませんでした。

人から裏切られるのは辛いなと感じたと同時に自分はそうはならないと

心から思った瞬間でもありました。

(社長は全て状況を知ったようで会議後、資料の作り方(形式)はよかったと

褒めていただきました。)

清掃との出会いは、アルバイト先の閉店でした。

飲食業(そば屋)・接客業(ネットカフェ)のアルバイトを経験しましたが

どちらのアルバイト先でも店内の簡単な清掃は実施してました。

接客より清掃のような作業をしている方が向いてると思いはじめました。

そんなときにアルバイト先が閉店することに…

新しいバイト先を探す私は自然と清掃のバイトを探していました。

採用された清掃のバイトは大浴場の清掃でした。

慣れてくるとその清掃会社が担当している他の物件にもいくようになりました。

大浴場・ホテル共用部・研修センターベットメイキング…等

大学卒業するまでの1年半程たくさんの作業を経験することになりました。

私を含めアルバイト・パートさんを管理する社員さんの仕事を

見ているうちにこういう道を考えてもいいかもしれないと思い就活開始。

無事ビルメンテナンス会社に内定を頂き、清掃の経験を積む日々に入ります。

私が仕事で清掃に携わるようになって12年が経ちました。

最初に清掃のお仕事をしたのは(大学生の頃)大浴場の清掃のアルバイトでした。

その時に出会った社員の方の仕事内容を聞き、こういう仕事があるのだと知り

就職先候補の一つにビルメンテナンス会社を入れました。

そして内定を頂けたとある会社に入社にしてたくさんの経験をしました。

約9年働いた会社を辞め、2023年9月 にKHA Clean(フランチャイズ加盟店) 起業しました。

屋号のKHA Clean の KHA は keep hope alive ~希望を持ち続ける~の意味があります。

私の名前にはいっている『希』という字。

”希望を持って生きて”という意味が込められていると小さい頃に聞きました。

例え辛いことがあったとしても踏ん張り、希望を持ち続けようと思っています。

これからも仕事を通してたくさんの人と関わり世界を広げていきたいです。

今までのことも含めて、色々と自分なりに書いていきたいと思います。